病院で働いていた頃には、見えなかった景色がある。
訪問リハに来てから、やっと、それが分かってきた気がしています。
訪問の楽しさは、技術の発揮じゃない。
そう思い始めている。
生活の場で、初めて見える「その人」
病院のリハビリ室で会う利用者と、自宅で会う利用者は、別人のように見えることがあります。
写真、本棚、台所のにおい、座椅子の凹み。
そこに、その人の歴史がある。
誰と暮らしてきたか、何を大事にしてきたか、何が今、できなくなって悲しいのか。
それが全部、空間に滲んでいる。
> 自宅にあるものは、すべてその人のモチベーションにつながっている。
「次もまた来てほしい」と思ってもらえるか
訪問は、シフトじゃなく契約に近い。
だから利用者さんに、「今週は休もうか」と思われた瞬間、サービスは止まります。
これは、怖い。
でも同時に、健全だと思う。
「来てほしい」と思ってもらえる関係を、毎週、丁寧に積み直す。
そこに、訪問リハの本質がある気がしています。
一人で判断する重さと、面白さ
病院では、多職種のチームがいた。
訪問では、その場で判断するのは自分一人。
これが、重い。
けれど、面白くもある。
迷ったら、ケアマネに電話する。
看護師に相談する。
主治医に手紙を書く。
連携の手綱を、自分が握っている感覚。
それが、訪問の醍醐味だと思います。
さいごに
訪問リハの楽しさは、技術を磨いた先にあるものじゃない。
むしろ、技術を一度横に置いて、目の前の人と向き合うところから始まる。
訪問の現場で迷っている若いセラピストに、何か届けば嬉しい。